シシィに惹かれて、東欧へ
ある日、実家のリビングで、母が読みかけのまま置いていた一冊の本が目に入った。塚本哲也著『エリザベート ハプスブルク家最後の皇女』。ウィーン、プラハ、ブダペストを舞台に帝国の崩壊から二度の世界大戦へと至る激動の歴史を描いたノンフィクション評伝だ。
主人公はシシィの孫娘にあたる最後の皇女だが、その背景に描かれた皇妃シシィの姿に、私は強く惹かれた。格式に縛られることを嫌い、自らの意志で生きようとした女性。気づけば旅の支度を調えていた。「そうだ、シシィの足跡を訪ねる東欧の旅に出よう」と。
旅の途中、ウィーンのシェーンブルン宮殿で、オーケストラとバレエのミニコンサートを鑑賞する機会に恵まれた。窓から差し込む柔らかな自然光の中、目と鼻の先で繰り広げられるバレリーナの動き。光と影が織りなすその美しさに、私の心は静かに、しかし確かに揺さぶられた。
「見る」だけでは足りない。あの美しさの真髄に、もっと近づきたい——。帰国後、私はすぐにバレエ教室の門を叩いた。30代からの、新しい挑戦の始まりだった。
ドガの眼差しを追いかけて、舞台裏へ
自らバレエ衣装のチュチュ(TUTU)やトウシューズを履いて舞台に立つようになると、バレエの美しさは、華やかな舞台だけにあるのではないことを肌で知った。日々、自らの心と身体に向き合い、絶え間ない鍛錬を重ねる。その静かな時間が、舞台上の一瞬の動きへと結晶する。私にはそれが、「静と動の奇跡」に思えた。そしてその体験が、写真家としての私の視線を、自然と舞台の「裏側」へと向けていった。
インスピレーションをくれたのは、19世紀のパリで活躍した画家エドガー・ドガが描いた踊り子たちの絵画だ。スポットライトを浴びる華やかな本番ではなく、出番を待つ緊張の吐息、トウシューズの紐を結び直す指先、静かに精神を研ぎ澄ます後ろ姿。そこにこそ、人間の本質的な美しさが宿っていると感じた。
自らも踊るからこそ、ダンサーたちと同じ呼吸で、その気配を壊さずにシャッターを切ることができる。私のカメラが捉えたいのは、身体が語る静と動、その一瞬だ。そうして撮り溜めたバレエ写真による代官山での2度の個展には、思いがけない反響があった。作品を通して新たなダンサーたちとの出会いが生まれ、撮影の機会も少しずつ広がっていった。
そのとき私の中に、かつてネパールを旅して世界が広がったときと同じ、心地よい熱量が灯った。「次は、パリを目指そう」と。

パリという、私のアトリエ
2005年、作品のポートフォリオを抱えて、パリのサンジェルマン・デ・プレのギャラリーを巡り始めた。年に2回、短期アパートを借り、滞在するエリアを変えながら、暮らすようにこの街とアートに向き合う日々。パリは私にとって、かけがえのない「ATELIER(表現の場)」になっていった。
道のりは平坦ではなかった。7年かけて信頼関係を築いたギャラリーオーナーが2012年に他界し、大切な拠点を失った。2015年には滞在中にパリ同時多発テロ事件が起きた。その3時間前、事件現場近くのギャラリーを訪ねていた私は、ニュースを聞いて言葉を失った。それでもパリに通い続けたのは、この街が私の表現の核心にあったからだ。困難に出会うたびに、この街は「なぜ私は表現するのか」という問いを、静かに私に投げかけてきた。
挑戦を始めてから12年が経った2017年。一番好きだったマレ地区のギャラリーで、念願の個展を開催することが決まった。ギャラリーの白い壁にバレリーナたちの写真が並んだその瞬間、言葉にならない熱いものが込み上げた。
「体験」と「表現」を往復する旅
振り返れば、実家のリビングで偶然手にした一冊の本から、想定外の連鎖が続いてきた。東欧の宮殿、バレエの舞台、ドガの絵画、そしてパリのギャラリーへ。あのとき本を開かなければ、シェーンブルン宮殿でバレエを観ていなければ、今の私はここにいない。
写真集を出すことも、個展を開くことも、単に作品を発表するためだけではない。「私はこの世界を、こんなにも愛おしく、美しいものとして見ている」という自分自身の物語を、そっと誰かに手渡すことなのだと思う。
体験し、心を動かされ、それを形にすることで、また次の体験へと導かれていく。「ATELIER」とは、この愛おしい往復書簡のような時間を、丁寧に紡いでいく場所なのだ。


