社会人学生として、ある小さな漁村を見つめて
東京からローカル線に揺られて約1時間半。山と海に挟まれた急斜面に、古い集落が身を寄せ合うように佇む小さな漁村がある。神奈川県湯河原の「福浦(ふくうら)港」。かつて画家・中川一政が20年もの間キャンバスに描き続けた、歴史と伝統が息づく港町だ。
私はこの福浦港を舞台に、社会人学生として芸術研究科でフィールドワークを行っていた。テーマは「人々の営みと交流が形成する風景」。わずか500メートルの海沿いの世界に、漁業(一次)、干物工場(二次)、ダイビングや釣り(三次)といった営みがぎゅっと密集し、互いの顔や関係性が見えやすいこの場所は、そのテーマにぴったりだった。高齢化が進み、車も入れない狭い坂道ばかりのこの町で、私はカメラとノートを手に、福浦の風の中に飛び込んでいった。
500メートルの世界に灯った、新しい交流の光
福浦港に通う中で、この静かな港に新しい風をもたらしたひとつの場所に出会った。漁師料理を提供する「みなと食堂」だ。
かつてここは漁師やダイバーなど限られた人だけのエリアで、飲食店は一軒もなかった。そこへ山側出身で魚の引き売りをしていたオーナーの北村さんが、古い漁具倉庫に一目惚れし、県や町と7年もの粘り強い交渉を経てオープンさせた。食堂ができると、それまで福浦を通り過ぎていた観光客や山側の人々が、続々とこの港を訪れるようになった。
しかし、本当に美しいのはその賑わいの裏側にある、人と人とのグラデーションだった。北村さんは地元の祭りに参加し、若い漁師たちと仲間になり、時間をかけて漁協との信頼関係を築き上げていった。「外から来た人(そと者)」の情熱が、地元の境界線を静かに溶かしていた。
午前0時45分、受け継がれる「そと者」たちのバトン
驚くべきことに、現在福浦で海に出ている現役漁師の約8割は、地元育ちではない「そと者」たちだ。
2013年10月、私は20代の若い漁師たちが働く「福浦定置網」の船に同行取材するため、真夜中の港に立っていた。深夜0時45分、漆黒の海へと出航する。パチパチと爆ぜる波しぶき、命がけの網の引き揚げ。2時過ぎに船着場に戻ると、すぐさま魚の選別が始まり、みなと食堂の板前さんがその日のランチの魚を仕入れにやってくる。朝5時、箱詰めされた魚は組合長のトラックで小田原の市場へ運ばれ、6時にセリが始まる。海の恵みが、人の手から手へと見事なリレーで繋がっていく。
作業を終えた朝6時、船頭さんを筆頭に若い漁師たち10名全員が、古くから港を見守る「龍神社」へと向かい、静かに手を合わせる。大漁のときも、不漁のときも変わらずに。全国から集まった若き「そと者」たちが、福浦の海を愛し、古くからの習わしをそのまま引き継いでいる。その姿に、私は深い感銘を受けた。
点が線になる瞬間、過去から未来への循環
そのつながりが最も鮮やかな熱量として爆発したのが、年に一度の「例大祭」だった。
いつもは静かな子之(ねの)神社の境内に、威勢のいい掛け声が響き渡る。高齢化が進む村のはずなのに、神輿の担ぎ手には血気盛んな若者たちが溢れていた。定置網の若い漁師たち、地元の消防団員たち。サラリーマンから漁師になったベテラン船長も「俺が最高年齢だよ」と笑いながら神輿を担ぐ。数年前から祭りに参加し、共に汗を流すことで、彼らは名実ともに「福浦の人」になっていた。
定置網の船上での緊張感、そして例大祭の熱気。その渦中に身を置いたとき、それまでバラバラに見えていた「点」が、一本の美しい「線」として繋がった。福浦の風景とは、単なる自然の造形ではない。過去から受け継がれてきた伝統の器に、新しくやってきた人々の営みと交流が重なり合い、絶え間なく更新され続ける「生きている景色」なのだ。
表現というカタチで、未来へつなぐアトリエ
私はこのフィールドワークで集めた光景と言葉を、映像DVDとフォトブックという作品にまとめた。一瞬の表情をすくい取る写真と、時間の流れや音を伝える映像。それぞれの形が持つ利点を活かし、福浦の「過去から未来への循環」をひとつのカタチにして、次の世代へ手渡すために。
あのネパールの町で子どもたちの瞳に出会ったときも。ウィーンの宮殿で、光と影が織りなすバレエの美しさに心震わせたときも。そして、この福浦の港で、多種多様な人々の営みが詰まった景色に感動したときも。私にとって「表現する」ということは、常に「大好きな世界や人々への、ありったけの想いの表れ」だった。
世界を旅した私がいま、3つの拠点のひとつであるここ湯河原から、『表現の場所と瞬間』を紡ぎ続けている。人々の営みが次の世代へと美しく受け継がれていくその様を、私はこれからもこの場所から、表現し続けていきたい。


