「次はどこへ行こう?」という問いの先で
30代前半、私は人生の大きな転機のなかにいた。それまでの価値観や環境が揺れ動くなか、まるで何かを追い求めるように、世界へと飛び出した。
気づけば5大陸を旅し、同僚たちからは親しみを込めて「女マルコポーロ」と呼ばれるようになっていた。しかし、旺盛な好奇心に突き動かされ世界中を駆け巡るうちに、ある日ふと立ち止まってしまった。行きたい場所には、もうほとんど行った。次は、どこへ?何のために?
満たされたはずの心に、ぽっかりと空いた小さな空白。そんな私を見透かしたように、仕事関係のある人がこんな言葉をくれた。
「ネパールのポカラで、ぽかんとしてくれば?」
ポカラで、ぽかんとする。その響きの脱力感に、張り詰めていた肩の力が抜けるのを感じた。「何かを見るため」の旅ではなく、「ただそこに在るため」の旅。私はその言葉に導かれるように、ネパールへ向かうことを決めた。
ただし、今回は新しい相棒を連れて行くことにした。一眼レフカメラと、モノクロフィルムだ。出発前に短期の写真入門コースに駆け込み、カメラの扱い方と現像の基本を詰め込んだ。当時の私にとっては「即席の準備」に過ぎなかったが、それが結果として、私の表現の人生を大きく変える、運命の扉となった。
「見る旅」から「関わる旅」へ、そして民家での滞在
初めて訪れたネパールは、「ぽかんとする時間」以上のものを私に与えてくれた。それまでの私の旅は、景色を消費する「行く旅・見る旅」だったのかもしれない。しかしネパールの風土と、そこに暮らす人々の眼差しに触れたとき、私の中で何かが静かに変わった。もっとこの世界に入り込んでみたい、と。
確信を胸に臨んだ2度目のネパールでは、旅のスタイルをガラリと変えた。ホテルをやめ、現地の民家に滞在させてもらうことにしたのだ。
朝、お茶を淹れる匂いで目覚め、同じ水を飲み、同じ風を感じる。民家に滞在してカメラを構えるという行為は、観光客ではなく「生活者」としてその場に身を置くことを意味した。世界とダイレクトに、人間らしく関わること。観察者としての視線は自然と消え、私のカメラが向いたのは、その営みの中心にいるネパールの子どもたちだった。
光と影の中で、自分の内側が言葉になるにする
見えたもの、感じたことを写真という光と影の形に「表現」していくプロセスは、驚きに満ちた内省の時間でもあった。
ファインダーを通して世界を切り取るたび、自分が何に心を動かされ、何を美しいと感じているのかが、少しずつクリアになっていく。写真とは、世界を写すと同時に、自分の内面を言語化していく行為だったのだ。
この地で紡いだ関係性とインスピレーションの結晶として、私は初めての写真集『レンガの町の子どもたち — Portraits of Nepal』を発行し、個展を開催した。私の最初の「アトリエ(表現の場)」となったのは、バクタプルという古い町だった。赤茶色のレンガ造りの家々が並び、中世の面影を残す街角。私はこの町の民家を拠点に、暮らすように、呼吸するように、子どもたちの姿をフィルムに収めていった。
互いの存在を感じ合う、至福の瞬間
写真集の最後に、私は当時の、そして今も変わらない表現への想いをこう綴った。
「ネパールの子どもたちは、ほんとうにきれいな目をしている。ファインダーをのぞく私に、絶妙な視線を返してくる。それは媚びるでもなく、気取るでもなく、とても自然でまっすぐな視線。被写体と私、互いに存在を感じ合うその瞬間が最高に気持ちいい。写真は、空間的・時間的・心理的な解放区へと私を誘い、自分の世界をすこしずつ広げてくれる。」
カメラを構える私と、まっすぐな瞳で見つめ返す子どもたち。レンズを挟んで、言葉を超えた「互いの存在の肯定」がそこにあった。その一瞬が訪れるとき、私の心はこれ以上ないほどの歓びに満たされる。
アトリエは、場所ではなく瞬間に宿る
私にとって「ATELIER」とは、特定の部屋や場所を指す言葉ではない。
バクタプルのレンガの隙間を吹き抜けていった風のように。町全体を柔らかく包み込んでいた、あの暖かさ<光>のように。心を揺さぶる出会いや記憶から、創作のインスピレーションが湧き上がる「場所と瞬間」のすべてが、私の大切なアトリエなのだ。
世界をめぐり、ぽかんと佇んだあのネパールの旅から、私の表現の旅は今もずっと続いている。


